2018年 04月 21日
日本画 |

川浪筍谷こと養治は喜作竹山の息子である。
竹山は有田の人材養成の根幹を担い、江越礼太が関わった「勉修学舎」の第1期卒業生であり、名画工の誉れ高かった。
筍谷は東京美術学校「東京芸大」に進み川合玉堂に師事した。関東大震災のため学業を継続できず有田に帰山した。父同様陶画工として明治伊万里の様式美を受け継ぎ図案作成や多くの子弟を育成した。
スケッチを重視した人だった。
この一幅の画に人柄が滲み出ているようだ。
竹山は有田の人材養成の根幹を担い、江越礼太が関わった「勉修学舎」の第1期卒業生であり、名画工の誉れ高かった。
筍谷は東京美術学校「東京芸大」に進み川合玉堂に師事した。関東大震災のため学業を継続できず有田に帰山した。父同様陶画工として明治伊万里の様式美を受け継ぎ図案作成や多くの子弟を育成した。
スケッチを重視した人だった。
この一幅の画に人柄が滲み出ているようだ。
蒲地孝典記
by kadens
| 2018-04-21 04:47
| 学び

