20数年前 まだ2人の娘達が幼い頃 私は ある病気になり
1年以上の療養生活を余儀なくされたことがありました。
当時 子育て真っ最中の時期に 母親が家を空けることは
到底できるはずもなく...,,,しかも主人は 海外出張が多く
年間半分は自宅はいない生活が続いていました。
しかし 病気は悪化していきます。
結婚して初めて 久しぶりに学生時代の友人と再会
当時 ドイツ在住の友人医師だったのですが
憔悴しきった私を見て
ポケットからさりげなく出した ルーペで私の目と手にかざし
私を診て すぐに万年筆でK大病院への紹介状を書いた友人は
早めに病院に行くようにと促されたのです。
その友人とルーペ・・・そのルーペによって私の病気を見つけていただき
今の私があると言っても過言ではありません。
そのルーペはドイツのエッシェンバッハというルーペでした。
療養中 有田の其泉荘で 企画展があっていました。
まだ体調が芳しくなかった私は 人気がなくなった会場で
心の琴線に響く作品に目が止まりました。
そこには 【葉山有樹の世界】・・・・・
その世界は療養中の私の心を優しく癒やしてくれたのです。
研ぎすまれた絵は 精神が震え立つようで 会場に入ったとたん
鳥肌がたつ感覚に襲われ 震えが止まらず………
葉山氏の独自性の世界感・・・それは葉山氏の思想 哲学 想い 情熱 が全て
集約されていましたが まさに私が求める 有田焼であり芸術の域でした。
それまで 子育てなどで 有田焼を詳しく学んだこともなかったのですが
夫が 世界中を飛び回り 明治時代に輸出された有田焼を蒐集していたのですが、
妻である私 有田焼のことを 知りたい と
体調がいい時は 有田中をひとりで廻り 図書館に行き 有田焼きについて
学び始めました。
【 世界を魅了した有田焼】
そして行き着いたのがジャポニズムでした。
有田焼は ヨーロッパ王侯貴族や ガラス作家である
エミールガレなどの 数多くの著名な芸術家に多大な影響を
与えたのです。
有田焼がフランスナンシーから派生した【ジャポニズム】に
多大なる影響を与えたこと ヨーロッパはもちろん
世界中のお城に 有田焼が展示されていることを知ったのです。
それから有田焼に対する目が変わっていったのは言うまでもありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お逢いしたこともなかったその葉山有樹氏・・・・との出逢いはそれから
10年後でした。
夫である庵主が独立し 私が 真っ先に伺ったのが葉山有樹工房でした。
私にとって初対面の葉山氏・・・ 10年前に見た感動がよみがえる
感動・・・作品は人となり・・・まさにその通りでした。
おだやかな笑顔と語り口・・・しかし ご自分の信念を語られずとも
貫かれる強さ そして 超越した美意識
何よりも 歴史観からなる 作陶の熱い想いに 本当の芸術性を感じ
感動のシャワーで、 作品1つ1つを見れば見る程
私の熱い想いが 募っていきました。
・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の夢は 【よみがえる日本の美】の一環でもある
有田焼素晴らしさを伝える 展示会を東京で
開催することでした。
夫に 海外での明治伊万里の蒐集 そして 想いを
2人の娘の為にも 著してもらいたいと 薦めたのですが
その著した著書が 日本経済新聞社から上梓していただけることになりました。
【幻の明治伊万里ー悲劇の精磁会社】です。
ウエスティン東京にて 【花伝展】開催
このことについては後述させていただきます。
そして 次の夢は ー私を救ってくれた 【エッシェンバッハ】のルーペと
1番苦しい時期に出逢い 癒された 葉山さんのデザインで
の 【有田焼ルーペ】を製作することでした。
私は もちろんお逢いしたこともない
エッシェンバッハの社長様に手紙を書き
私の想いを伝え 有田にすぐにお越しいただき
又葉山さんにも相談し 製作することが決定。
こうして誕生した 【陶匠の天眼鏡】は
お陰様で 経済産業省 のご協力も得られ
認定品として認可していただきました。
ー全種類 11種類ー
よみがえる日本の美 .......
まさに有田の様式美でもあります
絵付の究極でもあります 【葉山有樹の世界】
現在 世界的に大変ご活躍な葉山氏です。
私共は これからも 素晴らしい作家さんたちと
素晴らしい有田焼を国内外に 発信していきたいと思っています。
2つの大きな夢は 皆様のご尽力のお陰で成就させていただきましたが
まだまだ私には 大きな夢があります。
その夢に向かって頑張ろうと 心あらたに思っている新年です✨✨