ろんだん佐賀 |
寄稿させていただきましたが 今回最終回でした。
『器物は人の思想を写すものなり。』
テレビのコメンテーターが現代社会を批判して自嘲しながらもメディアをはじめ諸般の「劣化」を嘆いていた。筆者もそのひそみに倣い論考するものである。
アメリカ大統領選挙は日本だけでなく世界に「良識」が希薄化しそれが蔓延していることが、象徴的に驚愕の出来事として思い知らされた。「アメリカよ!おまえもか!」と。
原因は必然性があったことを、戦前に予想を的中させた複数の内外の識者が論じていたのでここでは触れない。
明治維新という驚天動地の出来事があった時代に名工の誉れ高き陶工がいた。その人の名は年木庵深海喜三平左エ門である。彼が制作したと思われる一枚の尺皿がある。縁模様は水しぶきが上がる波間に揚羽蝶を、また見込には桜樹と花籠、青海波に漂う花びら等が自ら編み出した釉下彩と和絵の具を巧みに使い分け描かれている。絵解きをすれば、揚羽蝶は栄耀栄華を極めた平家の家紋であり、やがて一門は壇ノ浦の戦いで敗れ、海の藻屑と化してしまう栄枯盛衰の顛末を物語る、この世の諸行無常を暗示している。
長い歴史の中、自然界でも幾たびも災害がもたらされた。そして、それを乗り越えて今日があるように現代に生きる者には覚悟の様なものが必要と思う。何かに頼るとか、期待するのではなく自ら範となるべく精進するしかない。
かの名工は二人の息子を前に「器物は人の思想を写すものなり 名器を作らんとすれば先ず自身の高尚の思想を養うべし」と説いている。
この名言は諸般に通用するものであり、個々人が劣悪なポピュリズムに陥ることなく、「天下一人を以て興る」気概でのぞめば、やがて名器のように品格を伴い、正々の旗はへんぽんと翻り、堂々の陣が築かれると、固く信じるものである。
有田焼は節目を迎えて、やや軽佻浮薄に感じられることも含めてあらゆる事業が試みられた。しかし、それらの事よりもっと身近に重要なことがあるのかもしれない。目先の結果にとらわれて、かけがえのないものを失わないようにしてもらいたい。
明治維新から再来年は百五十年目の区切りが来る。今後の五十年先、百年先を云々する前に近代という時代は何が変わって、何が変わらなかったのか考えてみたい。
数多の志士を輩出した時代を想い起せば、やはり彼らには揺るぎない命懸けの思想があった。
水晶はどんなに砕かれても六角形の結晶を留めるという。
栄光の有田焼に永遠なれと祈りたい。
有田焼創業四百年の本年、本紙に寄稿の機会を与えていただき、感謝申し上げる次第である。